2007年8月27日月曜日

John McCracken

フリデリチアヌムの玄関ホールにも展示されていた John McCracken の作品はドクメンタ会場のいたるところに出没します。
単純な幾何学形体を扱う作品なので、注意しないと簡単に見落としますが。


この柱はNeue Galerie の廊下に展示されていた Andreas Geyer の写真作品の前にごく何気なく (?) 置かれていたオブジェ。
(「何気なく」 のつもりがやはりこんな大規模な展覧会ではそうは行かないらしく、オブジェの両脇にはバイトの係員の女の子2名が配置されていました。写真取ろうとしたらどいてくれました。)

写真作品とこんな感じに、全く意味から自由にリンクしてました。 マックラーケンの人工的なオブジェが自然風景と呼応します。

この作品と作品の結びつきにふと気づく感じ、それが一体展覧会の意図なのか、私個人の感想なのか、観客みんなが感じるものなのか、それとも単なる思い過ごしなのかわからないところ、それが今回のドクメンタのキュレーター夫妻が 「美的体験」 (ästhetische Erfahrung: 感性的体験とも訳せる) と呼んでいることらしいです。

人間であれば誰でも何かを 「美しい」 とする感性を持っています。例えば美人の基準は文化圏や時代によって違うとよく言います。女性の美しさの基準にはきっとそれぞれの社会が持つ美徳や規範が反映されるかもしれませんが、ある種の色の組み合わせや形体、日没などの自然美など、文化や時代を越えて万人が共通して感受する 「美」 があるのではないでしょうか?

その 「美」 を観察してみると、法則がありそうでなさそうなところがあります。色彩などの美しさは数値に置き換えて分析可能であるともいいますし、自身を省みてみるとある日美しいと感じたものが次の日にはつまらなく思えたり、自分が美しいと思っても他人はそうは思わなかったり。

それでもどうしても、人間が本能的に思う 「美しい」 という感受性は万人共通であるという考えが捨てきれません。

そんな偶然や不規則性に支配されている 「美」 (或いは 「感性」) が今回のドクメンタでは問題視されています。

似た形体同士の繋がりを感じとる感性が 「美」 を感受する器官と同一であるのかは?ですが、私自身こういったコンセプトは今までに見たことがないため、今回のドクメンタにはかなりポジティブな意見を持っています。

ちなみに、会場内にはところどころ、A4の紙にタイプ打ちされた文章が、まるで展覧会前に取り去るのを忘れてしまったかのように、さりげなく掲げられています。その中のひとつでは、次の2作品の表層的な類似を指摘していました。

Charlotte Posenenske の換気管のようなオブジェ (1967年)。

Louise Lawler の写真作品 (1996年)。


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