2008年5月22日木曜日

Gegen ネオナチ!

5月8日発売のDIE ZEIT。(ツァイト) これは毎週木曜に発売される新聞。新聞とはいっても、内容は週刊誌並み、いやそれ以上。

先週、大手ディスカウント・スーパー LIDLE (リードル) の下請けパン工場にアンダーカバー・ジャーナリストを送り込み、LIDLE の安売りシステムを叩き切ったと思ったら (そのおかげで私二度と LIDLE で買い物できない人間になってしまいました)、今週はネオナチが日常生活のあらゆる場面に生息してる!との大警報。

ネオナチといえば NPD (エヌ・ペー・デー、ドイツ国家民主党: Wikipedia) 。このNPD が、行政内部はもちろん、市民相談所かなんかに化けて社会的弱者の味方になってみたり、子供向けのお祭り開催したり、大学の構内にもいるし、あらゆるところでチャンスを狙ってるんだそう。

そしてこんなWEBがあります。http://www.netz-gegen-nazis.com/

知らないうちに実はNPD に加担してたなんてことにならないためのアドバイス、子供がネオナチになってしまった母達の掲示板、などなど身近なところから始める政治的生活。

なかなか興味深いのが、外見からネオナチを判断するための記事。
スキンヘッド= ナチはもう昔の話。最近は地味なスポーツウェアに身を包み一見普通人と区別が付かないのだけれど、それでも仲間を識別するための認識コードが実は隠されているのだそう。
ナチブランド Thor Steinar
好んで聞かれる音楽、CDのレーベル
88 (ハイル・ヒットラー Hail Hitler Hは8番めのアルファベット)、18 (アドルフ・ヒットラー Adolf Hitler A=1 H=8)、168:1 (1995年にアメリカで起きた反ユダヤテロにより168人が死亡) などの数字記号

正しいジャーナリズム。私、DIE ZEIT のファンです。

2008年5月21日水曜日

西アート・東アート

ところで

東ドイツ出身の30代後半は特殊。
壁の崩壊がちょうど学校の基礎教育が終わって多感な真っ只中に (当時15-17歳くらい?) 東独が消滅し、それまでの教育が意味を失くしてしまったから。しかもいきなりの東西統一で、みんな同じドイツ人になれたのは表面的にはリベラルな最善策だったかもしれないけど、実際は、優秀なドイツ人 (西) と時代遅れな世界観を身に付けたドイツ人 (東) という二種類のドイツ人種が誕生してしまっただけ。

この旧東西ドイツ人の日常レベルでの相克をみてると、とりあえずはお互い別々の国家でもう少し居た方が良かったのではと思ってしまう。

(こんなことは日本語だから書けます。ドイツ人には言えない。彼らも苦労してるので。)

この30代後半というのが転換ポイントで、その上の年代だともうしっかり自己アイデンティティーが形成された後に壁が崩壊 (何言っても聞く耳持たない。それはそれで人格安定してていい感じ)、それ以下だともう昔の断絶は意味を失っててかなり東西混ざってます (若ければ若いほど)。この問題の30代後半の方々はしかし、西は西同士、東は東同士のみのお付き合いの範疇で生息してて、よくよく観察してみると隣り合わせに生活しつつも全く混ざってません。びっくりするほどです。

そう、それで美術に因んだ話。

こんなことがあった。ある旧東ベルリン人とハンブルガー現代美術館に行ったとき、その人はウォーホルとかミニマルとかを絶対に認めない。見れば見るほど不機嫌になってくので最後にはこっちが逆ギレ。別に私はウォーホルを弁護してる訳ではなく、その 「決して認めない」 で人の楽しみの邪魔をする態度に腹が立って、だったら付いてくるな、と心から思った。

そしてちょうどその直後に新国立ギャラリーで旧東ドイツの美術展 (戦後から壁崩壊まで) があって、そこにもその同一人物と (懲りてない) 行ったのだけど、そこで彼は喜々としてとても幸せそうで、たくさん説明してくれて、ありがたかった。

それにしても、西から来た「優秀な」ドイツ人たちはもちろんそんな展覧会なんて行かないんだろうな、と思う。(ごめんなさい。でもそう見える) 彼らにとってアートの中心地は、パリ・ロンドン・ニューヨーク。ドグマに支配され、閉鎖的で、洗練されてない東でかつての、そして現在の同国人が同時代に何を見てたかなんて、どうでもいいっていうか、見たらやっぱり批判しちゃうし、そうするとまるで自分が奢ってるようで自己嫌悪に陥るからやっぱり見たくないもの。

そう、何を言いたいかと言うと、先週 DIE ZEIT でリヒターについて記事を読んで、今日の「ドイツ美術」は、決してアメリカを中心とする西側世界と西ドイツによる産物ではなく、東と西の対決によって成り立ってると確信したから。

旧西ドイツと旧東ドイツ、表面的には溝が深そうに見えるけど、実はやっぱり一つの国なんだ、と考えることが出来たから。

++++++++++++++++

戦後ドイツ美術の大御所のひとり、ゲルハルト・リヒター。美術愛好家の間だけでなく、国民的にその名は轟いています。最近ではケルン大聖堂に設置されたピクセル画像状のステンドグラス (写真) が公開され話題になりました。

そのリヒターがドレスデン美術アカデミー時代に制作した壁画が、ドレスデンの衛生博物館 (Hygienemuseum) の白壁に塗り込められたまま眠っているそう。

こちら衛生博物館 2008年現在
こちら1979年東独政権下で塗りつぶされる前の状態。写真右の扉が同じです。

1961年西独への亡命の折、当局の目をくらますためそれまでに制作された作品のほとんどが東独に置き去りにされた。画家自身は亡命後それ以前の全作品の複製をきっちりとまとめて封印し、一方東独に残されたリヒターの壁画計3つは全て東独政権下で抹消された。

亡命から30年後すでに大芸術家としての名声を確立した1994年にリヒターの元にドレスデンから一通の手紙が届く。

その頃すでに東独政権は崩壊、ドイツ再統一後、衛生博物館は新しく編成され建物も修復されることに決まっていた。そこで修復のための資料集めの際、1956年にドレスデン芸術アカデミーの卒業制作として描かれた真正のリヒター、作品サイズ63.54㎡、タイトル「生の喜び (Lebensfreude)」 がモルタルの下に完全な形で残っているらしいということが発見された、という報告が手紙の内容。

衛生博物館の書庫から見つかった記録簿には、1979年に文化財保護の観点から、歴史的価値の高い衛生博物館の空間をオリジナルの状態に戻すためG.リヒターの壁画を白く上塗りすることが決定されたとあり、またそこには画家がすでにドイツ民主共和国から亡命しており、芸術作品として保存する価値はない、との付記も見られる。

1994年のドレスデンからの手紙は、リヒターに15年間封じ込められていた自身の作品を再発掘する事についての意見を求めるものだった。リヒターは、この壁画にそれほどの労力をつぎ込むほどの価値があるとは思えない、個人的には賛成しかねる、と返答をし、それ以降この件からは距離を置いている。

リヒターが東独時代の自己の作品を否定する態度を取り続けるのは、亡命後の画家としての出発点自体が、東独当局による芸術政策の否定であったからだと思われる。

1951年、リヒターはドレスデンから西側のカッセルへと、ドクメンタ II を訪ねている。当時はまだ列車での国境越えが可能だった。アルプ、ベックマン、ブランクーシ、デ・キリコ、デ・クーニング、クレー。当時のドクメンタは戦後ドイツにおける抽象絵画の祭典であり、またポロック、ニューマン、ラウシェンバーグ、ロスコに代表されるようなアメリカ人作家が巨大なフォーマットとラディカルさで圧倒した国際展でもあった。

後のインタビューでリヒターは実際にこれらの芸術が東独を去った理由であったと語っている。

一方、「生の喜び」。
湖のほとりの(社会主義的?)楽園風景。草木、ボート、遠くに見える工業地帯を背景に、戯れる若い男女、水浴から上がる女、濡れた体を乾かす裸の男、ダンスをする子供たち。画の主題は左から右へと流れていき最後に鳩が飛び交う中に描かれた若い家族像で終わる。画かれた人物達が皆似たような外見的特徴を持つことから、若い男女の恋愛から家族、そして生まれて来る子供たちへと循環する人間の生を思わせる。
「空間の基調を晴れやかで明朗、それと同時に安らかでさわやか、即物的」に造形する、というのが当時の当局からの依頼だった。西独への旅によって壁画と壁装飾の違いが明らかになった、と画家は語る。東独では後者のみが取り上げられている、と。

++++++++++++++++

写実的な手法で描かれるフォト・リアリズムと純粋な抽象絵画の間を常に行き来する表現方法で知られるリヒター。このように東独イデオロギーによる 「社会主義的リアリズム」 が激しく否定されつつも後のゲルハルト・リヒターの制作活動に多大な影響を及ぼしていることは間違いないだろう。リヒターに代表される 「ドイツ美術」は決して西側世界観の勝利から生まれたものではないということ。

それとはまた別に、リヒターの過去との係わり合い方、自身の暗い過去から距離を取る事で克服しようとする態度は、まるでナチスドイツや共産主義的全体主義など歴史のトラウマを抱えるドイツという国自体の一モデルのようにも見える。

これらふたつの観点から、リヒターという画家をドイツ的な現象と捉える時、ドイツという国は内面で分裂してるようでも、やはり引き裂かれてるという点に置いてこそひとつなんだと思う。それをリヒターというひとりの画家に見た気がしたから。

2008年5月20日火曜日

ミースの内と外

前述のように、ノイエ・ナショナルギャラリーの展示がいいと思ったのは、出品作品がそれぞれミース・ファン・デル・ローエのかの有名な建築と対話してるから。

透明な建物の内と外に設置されたオブジェ。

ガラスの一部がペイントで曇らされ、作品になってる。
これはこれでシンプルでおもしろいと思ったけど、残念ながら、単独の作品かミクスド・メディア・インスタレーションの一部かは、作品からは分かりませんでした。

それとはうって変わって、下の3枚の写真に見られるインスタレーションは、技法がばらばらにもかかわらず、同じコンセプトに基づく作品ということが瞭然としてました。

ミースのガラスの外壁には、ナイロンのいかにも安そうなカーテン。レトロな模様付きです。

その向かい側、ミースの換気装置 (緑色の大理石製) には、大理石板が何枚か立て掛けられており、その版上には、絵の具で壁紙のような装飾模様が手作業で描かれています。

ミースの換気装置の大理石が自然な模様を持つのに対して、こちらの模様は人工的。

カーテンが工業製品なのに対して、大理石版の装飾模様は手工芸的。

相反概念による構成が徹底してます。

描かれた壁紙模様が、ナイロンのカーテンと共にまるで住居内のような雰囲気 (プライベート) をかもし出し、美術館から 「オフィシャルな場」 という機能を剥奪しようという意図が感じられます。

大理石の前には、仮説の展示パネルが置かれ、そこには壁紙模様のドローイングや、インテリア雑誌からの切り抜きコラージュなんかが掛けられていました。

カタログによると、この美術館が建てられ、初めての展覧会はモンドリアン展で、ミースのコンセプトでこのガラスのホールに展示パネルが設置されたのだそう。

どういう脈絡かは私にはいまいちぴんとこなかったけど、とにかくそのエピソードに作者はレファレンスしたかったらしい。

モンドリアンだから、ミースとひっくるめてモダニズム批判かしら。壁紙模様がテーマだし。ミースの建築にアンチテーゼ示してるし。

作者はMarc Camille Chaimowicz、フランス人らしい 。タイトルは 「For MVR」。MVR はどう考えてもミース・ファン・デル・ローエでしょう。


見ただけではわからないようなエピソード (例えばモンドリアンの展覧会とか、アイリーン・グレイとコルビュジェの相克とか) に頼りすぎの感はあるけれど、みなさん、本当にいろいろ考えてて関心します。

美術は、ただ美しく佇むだけではなく、「正しく」 あろうとしてるようです。

ビエンナーレ メイン会場

ノイエ・ナショナル・ギャラリーの展示がなかなか悪くない (すごいドイツ的な言い回し) というのは、ミース・ファン・デル・ローエの透明でシンメトリックな建築との意識的な対峙が見られるから。
キーワードは内と外、左右対称性、表層と透明性 etc.

ギャラリーの一階ホールにはクローク・ルームが左右対称に二つ設置されています。来場客が各自手荷物やコートを預ける所です。
今回この左右二つのスペースを利用した展示を発表したのがベルリンの女性作家 Susanne M. Winterling。


左右二つのクローク内には、鏡合わせの状態で同一の展示がされています。展示物は、8ミリ映画、白黒写真、コラージュ、オブジェ。

左右対称の展示には、左右対称に多重露光された女性ポートレート。

カタログを読んでみるとなかなか面白いコンセプトが書いてあります。
以下要約。

タイトルは Eileen Gray, The Jewel and Troubled Water。アイルランドの女性デザイナー、アイリーン・グレイ(上写真 1878−1979)が 作品の中枢に置かれてる。彼女が1924−28年にかけて南フランスに建てた個人宅 maison en bord de mer E.1027 に、モダニズムの巨匠ル・コルビュジェは感嘆し、内密に何度も足を運び、しまいには本人の許可無く住宅内に壁画を設置してしまったそう。(というのがカタログ文章の翻訳ですが不思議な話ですね…)その壁画には女性のヌードも描かれており、グレイはこの行為を蛮行、ある種の凌辱と受け取りました。
また、二人の間の軋轢はそれぞれの建築家としての自己理解とも関わっていました。
ル・コルビュジェが汎的に使用可能なモデュロール・システムを用いて仕事をしたのとは対照的にグレイは、建築を構成する各要素は個別の特徴を持ち、また人体の器官に似た機能を持つと考えました。
今回ビエンナーレの出品作で作者は、コルビュジェと並ぶもうひとりのモダニズムの巨匠ミースの建築内に左右対称に設置された二つのクロークをグレイに因んで人体内の肺とみなし、また作品を展示することで元来の機能を剥奪、コルビュジェがグレイの住宅で行った蛮行に対する返答としています。この返答の仕方は、フェミニズム的な思考や既存物を占有することによる意味の変換など、様々な側面を持ちます。

クローク内。グレイの住宅のモデルが中央に据えられ、奥には8ミリ映画が延々と映写されています。ガラス板に溜った水滴が、向こうに通り過ぎる車のライトに照らされています。これは、ガラス張りの新国立ギャラリーの内部からの夜の風景。滴り落ちる水滴は、内外の気温差で建物内の湿気がガラス板上で冷却されたもの。ここで、作家のクロークを肺とする想定と、グレイのまるで生き物のように有機的に呼吸をする建築コンセプトとが重なります。

男性主義に支配されたモダニズム建築をグレイのコンセプトに沿って有機的に捉える。


本来のクロークが作品化されてしまったので、コートと荷物はこちらの彫刻作品にひっかけられます。今度は自分の持ち物が作品化。

見張ってるお姉さんが大変そうでした。

2008年5月19日月曜日

ベルリン・ビエンナーレ

第5回ベルリン・ビエンナーレに行ってきました。
会場がベルリン市内に全4箇所、ノイエ・ナショナルギャラリー (Neue Nationalgalerie)、クンストヴェルケ(Kunstwerke/ KW 巷ではカーヴェーとも呼びます)、クロイツベルクの彫刻公園 (Skulpturpark Kreuzberg)、そしてシンケル・パビリオン。
ま ず最初に家から近いこともあってノイエ・ナショナルギャラリーへ。まずまずの印象。かのミース・ファン・デル・ローエ設計の建築に支えられた出来ともいえるかも。。。 という予感は、後日訪れたKW で裏付けされることに。KW 最悪。この印象は前回のビエンナーレ以降どんどん深まる一方です。
どうしてKW はだめなのか。
理由を考えてみた。
1. お金がないので有名な作家を呼べない。
2. キュレーターの嗜好に偏りすぎてる。
3. 建物がだめ。(もともとは普通の民家?狭くて暗くて気が滅入る)
ここは、とにかく他のギャラリーや美術館なんかとは、全く違う法則に支配されてることは、確か。
お金がないという理由もあまりぴんとこない。中庭の重層的に反射し合うダン・グレアムの鏡張りカフェなんかは素敵だし、その辺にお金かかってることは確かだし、展覧会企画も企画自体は半ば公的な印象を与えるしっかりしたものが多い。
主任キュレーターがびっくりするくらい若い人というのは聞いたことがある。2-3年前で当時23くらい? 詳しくは忘れてしまった。
実際同じキュレーターが (今回は男女二人組) 企画してるし、ノイエ・ナショナルギャラリーがオッケーでKW がNG って、おかしい。ということは、やっぱりハコのせい?
とにかく、KW は不思議。
そんなKW の主催するビエンナーレ。
開催前は鳴り物入りで各メディアで報道されてましたが、以外と人の入りは少なさそうです。

ノイエ・ナショナルギャラリー正面玄関。
ミース・ファン・デル・ローエの設計した、ガラス張りの美術館。この建物が有名なのは、展示スペースが地下にあって、外から見える地上階部 (日本でいう一階) は見事にただのがらんどうホールになってるから。すてきです。
その外部からまる見えの地上階ホールが今回ビエンナーレ会場です。
手前こぶしのレリーフと、軒から下がってる旗が政治的でベルリンらしいです。