2008年1月29日火曜日

1970年1月23日東京で生まれた俺

ヨナタン・メーゼ

地下鉄で検札が来てはじめて、定期券を学校の図書館にあずけ忘れていたことに気が付きました。また罰金7ユーロ。私、この罰金は決して誇張ではなく計10回は払ってると思います。一度なんか、地下鉄でつかまって、つかまったという証明書を見せればその日中は乗っても大丈夫という話でSバーンに乗ったら管轄が違からと1日で二重の罰金を科せられたこともあります。

今回、地下鉄でつかまったということは、S バーンには乗れないので仕方がないので歩いて学校まで行こうといつもは通らない道を通ったら最近雑誌とかで見かけるヨナタン・メーゼ (Jonathan Meese) の展覧会の前を通りかかりました。


ベルリンの博物館島の真向かい、現在再建中のエジプト博物館の川をはさんだ正面にいつの間にか新しいギャラリーが出来ていました。

CONTEMPORARY FINE ARTS (ギャラリーHP)。これって、Sophienstrasse の中庭にあったギャラリー。引っ越したんだ……家賃高そうだし、気合入ってる。

バゼリッツの展覧会と同時期に開催、バゼリッツの誕生日が1938年1月23日、ヨナタン・メーゼの誕生日が1970年1月23日。だから展覧会タイトルが1970年1月23日で、しかも先週の1月23日のオープニングパーティーをいろんなメディアでかなり大々的に宣伝してたのを今思い出す。


ここはドイツではあるけれどガンダム世代と表現したらいいのか、作品はアンドレアス・ホファー (Andreas Hofer) と同系統。 プラモデルやファンタジー系物語が好きそう、という意味で。アンドレアス・ホーファーが自分というアイデンティティーを虚構の世界で遊ばせてアート特有の不可解さや不明瞭さを醸し出してるのに比べて、こちらの方は長い髪や怖い目、奇行などいわゆる 「ゲージュツ家」 といった生身の自己アピールが強烈。すなわち、単純。

展示作品は一貫してダースベーダーみたいな鎧兜のおばけの肖像。鳥のような怪物は神話の世界やSF映画を連想します。絵の背景や彫刻の本体には紋章や国旗のモチーフが書き込まれています。独裁者なんだそう。男性器が必ず強調されてて、意味をなさないせりふを吐きます。

赤と黒の油絵の具にキャンバス。彫刻の方はブロンズ。使用する素材は、エキセントリックな芸術家像に比べて、とっても保守的。

全ての作品に描き込まれている記号のようなものが、日本の日の丸にしか見えなくて(例えば上の写真の絵の左上)どうして?と思っていたら、今ネットで作家が東京で生まれたという記述を発見。ということはこの一連のポートレートはひたすら自分像なんですね。

絵画作品には全て 「JM08」 のサインが。ということは全て今年に入ってから描いたんだ。すごいな。こんなのだったら出来るか。

こちらがヨナタン・メーゼ


そしてこちらがドイツの巨匠デューラーの自画像

芸術家の自意識の高さを示す、キリストとしての自己演出。メーゼの芸術家としての本質は「芸術家であること」のみにあり。

Jonathan Meese "23. Januar 1970"
2008年1月24日から3月8日まで
@ CONTEMPORARY FINE ARTS
Am Kupfergraben 10
10177 Berlin

2008年1月18日金曜日

採光と瞑想効果

ノイエ・ヴァッへ

ベルリン一の目抜き通りウンター・デン・リンデンにあるノイエ・ヴァッヘ (Neue Wache: 新衛兵所)。もともとはその名の通りプロイセンの衛兵所でしたが、現在は度重なる戦争の犠牲者のための慰霊碑として機能し、多くの観光客が立ち寄ります。


成り立ちについて簡単に説明を。

この建物はもともと、1816年にプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世が、建築家カール・フリードリッヒ・シンケルに衛兵所として設計させたものでした。

ドーリア式の柱から成るの柱廊玄関をもつこの建物は、パルテノン神殿などの古代ギリシャ建築に範をとる「古典主義」という様式に属します。

シンケルは設計の際に、建築物が他の一切の形体や人物をも想起させず、そのかわりに抽象的な観念のみを想起させることを意図しました。それはこの「古典主義」という普遍的な建築様式が、過去に対する「感覚」のみを人に呼び起こすことを意味しています。

設計当時、シンケルは決して、建物が戦争の犠牲者のための慰霊碑として使用されるとは考えていませんでした。ただ彼の「抽象的感覚のみを想起させる」建築といった、用途に合わせて外観を明確に規定することをしないコンセプトの曖昧さが、後世における慰霊碑への用途変更を簡単にしてしまったのかもしれません。

1918年にドイツ帝国が崩壊、ワイマール共和国が成立した後、1931年に建築家ハインリッヒ・テッセノウ (Heinrich Tessenow) はプロイセン州政府から、この建物を第一次大戦の戦没者慰霊の場に改造するよう依頼されました。彼は内部を仕切る壁を取り去り、全体に屋根をかぶせ、その屋根の中央には円形の開口部を設けてそこから光が降り注ぐように設計しました。

1931年改築後の室内。中央には2メートルの高さの黒い花崗岩の台座、その上に金とプラチナの箔が施された桂冠。

この改築以降常に、この本来の「衛兵所」は、訪問者に瞑想を促す目的の追悼の場として機能し続けています。

第二次大戦後の東独時代には「ファシズムと軍国主義に犠牲者のための追悼所」とされました。

ガラス製のプリズムの中には常時炎が灯されており、またここには無名の強制収容所の犠牲者一人と無名の兵士一人の死体が祀られていました。壁には東独の国旗が。

ドイツ再統一後の1993年以来、この建物はドイツ連邦政府の中央追悼施設として「国民哀悼の日」の式典会場になっています。

現在、中にはケーテ・コルヴィッツのピエタ像が設置されています。


丸くくりぬかれた天蓋からの採光はローマのパンテオンを思い出させます。

ミケランジェロ設計のパンテオンの天蓋

こちらがパンテオンの外観ですが、のちに改装された内部の天窓だけでなく、ギリシャ建築風のフリーズや円柱までも、シンケルのノイエ・ヴァッへの外観と完全にクロスしています。外観はシンケルのオリジナルのままで、全く手を加えていないにも関わらず、一部分の変更のみで、プロイセン特有の新古典様式の衛兵所が、別のコンテクストに取り込まれていってしまうことが面白いと、私は思うのですが、どうでしょうか。

ところで、話はずれますが、穴を開けられた天蓋の手法は、現代においてもアートの言語として使われることが多く見られますが、そういった場合、瞑想あるいは内省をうながす効果をねらうことが定石のようです。
リベスキンドが設計したベルリン・ユダヤ博物館の「ホロコーストの塔」

スイス山中にあるジェームス・タレルの作品「Skyscape Piz Uter」

大衆は戦争映画がお好き

ジョナサン・ホロヴィッツ展

ベルリンでTOPクラスのギャラリーが集まる場所、ツィンマー通り (Zimmerstrasse)。 そこで開催されたニューヨークを拠点に活躍するヨナタン・ホロヴィッツの展覧会『People Like War Movies』を見ました。

ギャラリーのドアを開けるとそこにはポップコーン・マシンのオブジェが。
これももちろん作品なのですが、ここでは、ポップコーンは自由にもらえます(おいしくない)。

ガラスケースには展覧会タイトル Poeple Like War Movies と書かれており、ポップコーンの紙袋には元アメフト選手でアフガニスタンで戦死した英雄、パット・ティルマン (Pat Tillman・参考) の肖像が印刷されています。

メディアにおけるスパースターと戦争。

ポップコーン・マシンのオブジェの脇を通り過ぎ、次の展示室に入ると、暗い室内でジュースの自動販売機がネオン光を放つ。自販機をよく見ると、現実では決してありえないペプシとコカコーラの組み合わせが。
実際に1ユーロ硬貨を投入してコーラかペプシかだけを選べます。


ここでも市場経済におけるという意味で「戦争」の概念が重なってきます。

実は、1ユーロを入れて買ってみたのですが、実際に買おうとするとどっちに決めたらいいのか、ものすごく迷いました。どっちでもいいから、という理由からですが。

美術史的観点から論じるのであれば、これらのふたつのオブジェには50年代ポップアート美学が引用されているといえます。しかしこの時代はまた、テレビや映画などのマスメディア&エンターテイメントが発達した時代でもあります。


ポップコーンとコーラを手に、会場の奥へ進むと次にあるのは映像作品。エルビス・プレスリーの映像とリドリー・スコット監督の劇場映画『ブラックホーク・ダウン』の断片を繋ぎ合わせた作品です。

このモンタージュは、1958年のエルビス・プレスリーの兵役と、1993年にソマリアで戦死した兵士クリフ・エルヴィス・ウォルコット(映画『ブラックホーク・ダウン』の登場人物)の二人の人物をかけあわせています。

また、モンタージュ内では、エルビスのコンサート風景に交えて彼の徴兵についても言及しており、そこでも展覧会のテーマである「戦争」とリンクしていきます。


ポップコーンを食べコーラを飲みながら映画館でプレスリーと戦争の映画を観たあと、さらに奥の部屋に進みます。

ここであっと驚くどんでん返し(?)が。

この部屋の壁面 (入ってから後ろを振り返ったところの壁面。ちょうど映画スクリーンの裏側)には、壁一杯に惨殺された人間の死体が引き伸ばされて貼られています。この、大衆ポップ文化の 「裏側を見せる」 という演出に、ギャラリーの空間を利用する言語感覚はこちらで見るアートの典型でもあります。

また、死体写真のそばには、この写真の出所を説明する小さなメモが一枚掲げられています。その説明によると nowthatsfuckedup.com というポルノサイト(現在は閉鎖)が、クレジットカードの使えなかったイラクやアフガニスタンなどの戦地にいる兵士達に、クレジットカードでの支払いの代わりに戦場写真を提供することでコンテンツ閲覧を可能にし、その写真の内の一枚を引き延ばしたものがこの死体写真だそうです。

People Like War Movies. 大衆は戦争映画が好き。でもコーラもペプシもエルビスも大好き。そして現実の戦場では、お金と性欲と残酷写真が交錯する。


Jonathan Horowitz/ "People Like War Movies"
September 1 - October 20, 2007

Galerie Barbara Weiss
Zimmerstrasse 88-91
10117 Berlin

2008年1月16日水曜日

「ヒロシマ」ブランドにもの申す。

いわゆる現代日本の美術、ということでメイドインジャパンの作家なり作品なりがドイツ (他の外国知りません) で紹介される際によく出くわすのが、ヒロシマという歴史的事件を背景に作られた作品であるとか展覧会コンセプトであるとか、広島出身の作家であったりとか。

私の記憶するところではベネチア・ビエンナーレの日本館でも近年度々ヒロシマがテーマに掲げられた記憶があります。同じビエンナーレでイスラエル館が「ホロコースト」しか話題にしないのと共通するものを感じます。

この「またか」と多々感じた体験を踏まえ、私はこういった事象をアートにおける「ヒロシマ」ブランドと名付け、批判の体勢で臨んでいきたいと考えます。

批判するからには、代替となる考え方を提示しなければとも思うのですが、今のところ特にありません。

この事象は、別に誰が悪いわけでもなく、ただ、自身を神話化させようとする「芸術家」の特性とも関係があると思うし (参考: デューラーの自画像)、日本人がドイツ人に固定観念を持っているのと同じようにドイツ人も日本という国を連想するにあたって数少ないイメージしかないわけだし、受容側の問題でもあると思います。

が。

すっかり忙しくしてたら

マイク・ケリーを見逃してました。
MIKE KELLEY/ KANDORS
Jablonka Galerie
September 29 - December 22, 2007
Kochstrasse 60 Berlin