2010年6月13日日曜日

シグマール・ポルケ死去

戦後ドイツ美術を代表するひとりである、シグマール・ポルケ (Sigmar Polke) が先週金曜、69歳で亡くなったのです。

2010年5月27日木曜日

ベルリンのアーチスト

ベルリンといえば、アート、なのでしょうか。

外からの一般的な認識はよくわかりませんが、ここにとても多くの芸術関係者が住んで活動していることは本当です。ただいえるのは、ギャラリーなどをまわってみると分かるのですが、シリアスなファインアートから保守サブカルまで様々なレベルが同等に顔を並べているということ。また成功している人の場合、ベルリンには居を構えているだけで実際の活動はケルンなど経済と文化のバランスが取れている街で行っている、という事実が目につきます。

ベルリンで制作・活動をするオラファー・エリアソン。TIP のインタビューで彼が、ベルリンの若いアーチストが抱える問題について語っています。芸術の領域では、社会的成功を個人の才能に帰結させることが通念となっていますが、エリアソンの物事をあくまでも社会構造的に捉えており、その姿勢自体が彼の成功の秘訣を物語っているようです。

以下はインタビュー記事:http://www.tip-berlin.de/kultur-und-freizeit-kunst-und-museen/interview-mit-dem-spektakularen-kunstler-olafur-eliasson-teil-2 からの抜粋。

ELIASSON:ここ(ベルリン)には数千もの芸術家がいることで、巨大かつ非慣習的なアートシーンが出現しています。大きな問題はしかし、この街が、過去二十年間(東西統一以降)機能するインフラストラクチャーを構築できなかったことです。つまり、サブカルチャー層のすぐ上にもうひとつ別のアーチスト層を形成することができなかったのです。現在では残念なことに、二極化がさらに進んでいます。ベルリンには一方で国際的名声のある芸術家が住んでいますが、その下には非常に大きな空洞があります。そしてさらに下に、信じられないほど大きなサブカルチャー、美術大学を卒業したばかりの若い芸術家たちがいます。彼らは既成のシステムに入ることができないでいるのです。

TIP:何がうまく作動していないのでしょうか?

ELIASSON:この破綻は、過去二十年間に起こったことです。ベルリンの公共美術館が独自性を見つけられなかったと言っているのではありません。この街に「システム」が存在しないことが破綻の原因なのです。問題となるのは、ひとりのアーチストが底辺からどうやって上に登るのか、最上階まで上り詰めるとまではいかないにしても少なくともインターナショナルな成功を収めるにはどうしたらいいのか、一歩一歩登るための梯子はどこにあるのか、といったことです。

野外アート in ポツダム広場

ポツダム広場のダイムラーに属するエリアには、あちらこちらに野外アートが設置されています。ジェフ・クーンズ、キース・ヘリング、ジャスパー・ジョーンズ等。

地図と案内はこちらを。

その中でも、ビルのてっぺんに立つアウク・ド・ヴリース (Auke de Vries) のオブジェが印象的。


これらもすべてダイムラー社のアート・コレクションに含まれるものです。

ダイムラー・コンテンポラリー

ドイツのミニマリズム Minimalism Germany 1960s

ポツダム広場を通るたびにおもしろいなー、と思うのは、ここが「大都市」を模倣しているから。


ニューヨーク、ロンドン、東京などの大都市では、乱立するビルや錯綜する路地といった都市としての魅力が100年以上かけて生成されたのに対し、ここでは建築家たちの計算されつくした計画によってわずか数年で作り出されてしまった、と考えるのです。

計算しつくされた感のあるビルが重なり合う細部を目にすると、その思いを強くします。


高層ビルに囲まれつつ、それでもやけに風通しが良くて、その空虚さがベルリンらしい不思議な感じなのですが。


というわけで、今日はダイムラーコンテンポラリーで開催されている「60年代ドイツのミニマリズム」展へ。

周りのポストモダン建築群に圧倒されてひっそりたたずんでいるのはハウス・フート (Haus Huth) と呼ばれるかつてのワイン商の家。 この4階がダイムラー・コンテンポラリーです。ベルを鳴らすとドアを開けてくれます。


下の写真:空き地時代のポツダム広場にぽつんと立つハウス・フート。


とても重厚な内装がかつての栄華を忍ばせます。エレベーターで4階へ。


ダイムラー・コンテンポラリー内。換気管のような形体はシャルロッテ・ポゼネンスケ (Charlotte Posenenske) の作品。前回のドクメンタ12 (2007年) で国際的脚光を浴びた今は亡き作家です。


ダイムラーとは、言わずと知れた自動車メルセデス・ベンツの会社です。企業の文化事業の一環としてアートのコレクションに力を注いでいます。1977年から始まった収集は「20世紀の抽象美術」に重点を置くというのがうたい文句です。

第二次大戦後のドイツでは、ナチス支配下で国家の理想を描いた具象芸術が奨励され前衛芸術が退廃の烙印を押され弾圧されたことへの強い反省から、ナチス政権以前の芸術の動き、つまり1910年代〜20年代にみられた抽象芸術へと回帰していきます。また同時に、戦後ドイツが文化的・政治的にアメリカの強い影響下にあったことも、ドイツ抽象芸術が特にアメリカ美術を手本として発展したことの原因となります。

とはいえ、こういったことはすべて西側の話。今回の展覧会においても題目が「ドイツの」ミニマリズム (Minimalism Germany 1960s) であるのに、旧東ドイツでがすっかり抜け落ちてしまっているのは、そういったことに非常に敏感なこの国では、注意不足以上のものがあるといえるでしょう。

誤解を恐れずに言うならば、「20世紀抽象美術」を収集するという行為が、実は旧西側の旧イデオロギーをその根に持っているといえるのです。冷戦が終結し、対立しあうことで存在意義を保っていたイデオロギーが消滅した現在、これと同じことを公共の美術館がやったら大変なことになるでしょう。未来を拓くはずの芸術が懐古主義に陥っているのです。たとえ過去の作品や流派を展示するとしても、歴史理解にこそ未来へのまなざしが大きく関係してくるはずです。

でもそこが、ダイムラー。

下の写真、床に設置された黒い物体が、イミ・クネーベルのかつての同志、イミ・ギーゼ (Imi Giese) の作品。クネーベルと共にイミと名乗り、共にヨーゼフ・ボイスを師としました。1974年に自殺。彼の作品は初めて目にしましたがとても美しいです。特に写真作品のなんとも言い表せない繊細さにびっくりしました(壁に掛かっている黒い正方形です)。


作品は、いいものが揃っています。さすが、ダイムラー。


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ダイムラー・コンテンポラリー (Daimler Contemporary)
住所:Alte Potsdamer Straße 7, 10785 Berlin
開館時間:11時〜18時、入場無料
公式サイト
野外アート・マップ


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2010年5月25日火曜日

ロスト 最終回

アメリカのテレビドラマ「ロスト」が終わってしまいました。
(大したこと書いてませんが、以下、白字です。)

この最終シーズンに限り、ドイツの iTunes Store がダウンロード販売してたのです。しかもアメリカでの放送日の翌日に。

見終わって一日が経ち、ちょっと消化されてきたところで思うのは、なんだか終わった気がしない、ということ。

この終わり方だったら、シーズン2、3、4、どこで終わらせても良かったんではないの? と。

そのくらい、全体のつながりがぼんやり。

とはいっても、過去のエピソードを思い返してみると、毎回のびっくりさせる展開には、やはり文句の付けようはありません。

でもでも、一番気になるのはやはり、俳優達の老けぶり。本当にお疲れさまでした。

2010年5月23日日曜日

オラファー・エリアソン

内部/外部あるいは人工光/自然光

今日は話題のオラファー・エリアソン展へ。

ポツダム広場の駅を出て、展覧会場である建物マルティン・グロピウス・バウを目指し近道をと選んだ道は行き止まり。その代わりそこで、監視塔の残骸を発見。ドアがへし曲げられています。Erna-Berger-Straße、旧東ベルリン側。


けっこう、表現主義。

そうなんです。このマルティン・グロピウス・バウは、ベルリンの壁沿いに立っていたのです。建物玄関はベルリンの壁に面していたため、冷戦時代は入り口は建物裏側にありました。

そしてもうひとむかし、ヒトラーの第三帝国時代にはなんとすぐとなりに、極悪ナチスの秘密警察ゲシュタポが本拠を構えていました。

下の写真、手前の建物がゲシュタポ本部(写真は1933年)。奥に現在のマルティン・グロピウス・バウ(当時は装飾工芸美術館)の玄関が見えます。



このゲシュタポ本部自体は空襲で破壊され、戦後はベルリンの壁に接していたために危険すぎて使えない空き地として長年放っておかれていたそうです。この場所は1987年から「テロの地形図」 (Topographie des Terrors) という展示施設になっています。瓦礫の中にわずかに残っていた地下室の壁を利用して、ナチス時代についてのパネル展示があります。今日行った時には、なんと空き地だったところの真ん中に、見たことのない新しい建物が出現していました。が、時間がないのでそのままエリアソン展へ。



これがマルティン・グロピウス・バウと呼ばれる美術館。建物の設計者マルティン・グロピウスは、バウハウス創立者であるヴァルター・グロピウスの大叔父にあたる人だそうです。完成は1881年。イタリア・ルネサンス様式。この時代には建築物がその用途に合わせて過去の時代のあらゆる様式を引用して建てられましたが、これもその一例のネオ・ルネサンス。当時美術館を建てることになって「美術といえば当然イタリア・ルネサンス」くらいの単純発想だったのではと推測します。

建物の窓から煙突が顔を出し、そこからもくもくと立ち上る蒸気。



あ、これがきっと、かのカラフルな霧の部屋!と期待増大。そして中へ入ると・・・

すごい人。

また今度平日に出直してこようかとまで考えたほど。しかしその後、この長蛇の列は2階のフリーダ・カーロ目当てだということが判明。カーロの射程範囲の広さにびっくり。エリアソンは・・・すぐに入れました。

展覧会タイトルは『内/都市/外』(Innen Stadt Außen)。なによりも、建物の内部構造と緻密に関係づけられた会場構成が、考え抜かれていて秀逸しでした。ということでこの今回のレビューでは、展覧会構成に焦点をしぼってみたいと思います。

会場内は写真撮影厳禁でした。画像の使用権はかなり厳しく管理されているようです。ですので作品の画像についてはこちらを参照してください。Fotostrecke Olafur Eliasson/ Berlin.de

チケットもぎりのお兄さんが立つ入り口を入ると、そこからすぐに足下に石の板が道のように敷かれれいて、観客はその上を歩くことになります。『ベルリンの歩道 Berliner Bürgersteig』。この建物内部にある『歩道』を歩きながらそのまま部屋をふたつ通過し、三つ目の部屋(つきあたり)で道は左に折れ、窓へと行き当たります。建物外部へと開かれた窓。カール・アンドレを彷彿させます。

そして、その石の歩道が終わる同じ部屋には、銀色のアルミ板(この画像の一番奥に見えます)が掛けられていて、表面の凹凸がなだらかに光を反射している。しかしよく見ると、なんと窓がわざわざ封鎖されて、そこに絵画作品を掛けるようにアルミ版を取り付けていることが判明。そう見てみると、アルミ板は平面の絵画のようにも見えるし、室内光の反射は窓の外、アルミ版の向こう側にあふれる自然光を暗示しているようにも見えます。タイトルは『水銀の窓 Mercury window』。

ここからは、ざっと。暗室の壁にプロジェクターによって来場者自身の影が投影される作品『あなたの不確かな影 Your uncertain shadow』。ミュージックなしでも思わず踊ってしまう、観客巻き込み型の作品。そして次は、黄色い照明に照らされた大きなテーブルに模型のようなものが沢山並べられてる作品『モデルの部屋 Model room』。黄色い照明のせいで、来場者みなが色を失ってグレーに。ただ、同じくテーブルに並べられたモニターの映像だけが生き生きとした色彩を放っていて、不思議。次ぎはベルリンの風景のモンタージュ映像作品『内/都市/外 Innen Stadt Außen』。

暗室を出ると一転して外光あふれる一角へ。一見何もない部屋。ところが窓の外に目をやると、ここは2階のはずなのにそこには草むらが。『連続 Succession』1998年。正方形に切り取られた草むらが、光を反射して風に揺れてきらきらしている。暗室から外界への繋げ方が鮮やかです。

そしてマルティン・グロピウス・バウのガラス天蓋に覆われた中庭部分には『顕微鏡 Mikroskop』と名付けられたインスタレーション。ガラスの天蓋部分を残してアルミ板で囲まれた空間。天蓋部分が果てしなく反射し合います。アルミ版は相当薄いらしく、床を歩くたびに全体が振動して、知覚が不確かになります。

ミラーボールを通り抜けて次の部屋に入ると、また何もない。すると監視のおじさんが「鏡、鏡、」と言ってくる。何かと思って指差された方を見ると、そこには窓が。窓の向こうにはすぐ隣の建物があり、ちょうどその窓からも中が覗ける。向こうにも人がいてこっちを見てる。え!わたしじゃん! ということで、作品『奇妙な美術館 The curious museum』。美術館建物の外側に鏡が取り付けてあって、私達は鏡に映る美術館の外壁と窓、そして自分達が位置する内部を見ていたのでした。

しばらくマルティン・グロピウス・バウの外壁を中から鑑賞し、そして鑑賞する自分も鑑賞し、次へ。

この部屋は、黄色いセロファンによって空間を二分されています。エリアソンの美大卒業後初めての作品『Suney』1995年。このタイトル Suney は sun と eye を合わせた造語だそうです。太陽といえば、彼のテートモダンのインスタレーションを連想しますが、ここでは、隣に設置されている鏡作品の影響か、黄色い色のついた鏡のように見えてしまいます。フイルムの向こうに立ってフイルム表面を眺めている人たちが、ふっと鏡像に見えてしまう瞬間があるのです。自由な解釈の余地をまったく狭めないところが、エリアソンの作品の強みでしょう。

このあたり、水をまき散らすホースの作品とか、いろいろあるのですが、省略。

そして最後のクライマックス、霧とネオン光のインスタレーション『Your blind movement』。水蒸気に満たされた室内に入っていくと、動くたびに周囲が様々な色に変化していく。これはすごい楽しい。しかしここでも、美術史を何年も学んでしまった私が性懲りもなく思い浮かべるのは、マーク・ロスコーとカスパー・ダーヴィット・フリードリッヒ、はては「北方ロマン主義の伝統」。

マーク・ロスコ


カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ
Caspar David Friedrich/ “Wanderer über dem Nebelmeer, ca. 1818″

しかしロスコーやフリードリッヒとの比較はどうでもいいのです。なぜなら、そういった純粋芸術的な議論からは何も生まれそうにないから。

何よりもエリアソンには、美術館という閉じられた空間をとにかく外へ開いていこうという強い意志が感じられます。しかしあくまでも空間は閉じられており、外界とのつながりは観念的に提示されます。また、美術館の外壁と観客自身を中から見せることで、美術館という制度を一旦はだかにして、問題提起をしているようにも見えます。

今回の展覧会タイトル『内/都市/外』について、エリアソンはtipのインタビューでこうコメントしています:
「私は、内部/つまり展示室としての美術館と、外部/つまり文化・社会・政治に関わる制度としての、あるいは『リアリティを生み出すマシン (Wirklichkeitsmaschine)』としての美術館、このふたつの相互関係を探求しています。」
また別のインタビューでは:
「私は、美術館の中とその外で起きていることの関係性を作りたいと考えます。ここ数年私が手掛けた展覧会では、そういった内部と外部の乖離が目立ってきていますが、それは美術館が展覧会を徹底して売り物にするために起こっています。ここベルリンではそういった乖離を感じることはあまりありませんが。私は、来場者が美術館に各々の期待や個人的な物語を持ち込み、そこで展覧会の一部として鑑賞することを望んでいます。そして人々はそこで見たことを記憶として再度社会へと持ち出すのです。そういった意味で展覧会を顕微鏡に例えてもいいかもしれません。社会をルーペで覗き込むのです。そこで展覧会はある種『リアリティを生み出すマシン (Wirklichkeitsmaschine)』なのです。」

ちなみにベルリンに居を構え制作をするエリアソン氏は Pfefferberg の敷地にある建物ひとつ丸ごと買ってアトリエに改造したそうです。地域活性みたいなことにも参加しているんですね。

2010年5月16日日曜日

ポール・シュレイダー『MISHIMA』

Mishima: A Life In Four Chapters



プレンツラウアーベルクのマニアックなレンタルショップ Negativland で VHS を借りてきました。
フィクションの部分への導入からその演出などなど、いい作品でした。

三島で思い出したのですが、昨年、大江健三郎氏がベルリン滞在した際に Haus der Kulturen der Welt で講演と朗読を兼ねた会が催されました。ドイツで翻訳出版されたばかりの「さようなら私の本よ!」の内容についてベルリン自由大学の比較文学科の教授がインタビューをしてそれに答えるという形式でした。

そこでテーマになった「三島問題」。

ちょっと前のことなので記憶に自信がないのですが・・・
三島由紀夫の場合、小説を書き始める時に、既に最後の一行が決まっている。そういった仕事の仕方、ならびに三島の美学を大江氏は「静的」と批判されていました。そして・・・

・・・講演を聞いた当時は感銘を受けたはずが、すっかり内容を忘れております。

確か、その静的な美学が三島を自決に導いた、というようなことを言っていたと記憶していますが。。。

この映画は、大江氏が話されていたような、三島美学の閉塞感を感じさせるのでした。

2010年5月14日金曜日

ホフマン・コレクション

Sammlung Hoffmann Berlin

入り口の様子

企業家であったホフマン夫妻が60年代後半から収集している現代アートのコレクション。ここのユニークな点は、作品が設置された個人の自宅内を見学できることです。建物自体はかつての医療機器工場を改装したもので、最上の2階分が現在ホフマン夫人の仕事場兼住居となっています。

邸宅内の雰囲気は こちら を。

コレクションの重点は時代・ジャンル・地域とも多岐にわたります。その幅広さはコレクター個人の顔を全く垣間見せないほど。収集のきっかけは、長年所有していた会社がデュッセルドルフ近くのメンヒェングラートバッハにあったため、60年代デュッセルドルフで活躍していた芸術家集団ZEROとの親交でした。その後アメリカに何度も足を運んだことからステラ、ナウマンなど多くのアメリカ人アーチストの作品がコレクションに加わり、1997年ベルリンへの移住後は東欧やアジア出身のアーチストの作品がコレクションをさらに幅広いものにしていきます。

展示内容はホフマン夫人監修のもとに計画され、毎年7月には展示替えが行われます。

私が訪れた2010年5月には、ナチスドイツや冷戦などの記憶をテーマとして展示の大部分が構成されていました。クリスチャン・ボルタンスキー (Christian Boltanski)、アストリッド・クライン (Astrid Klein)、フェリックス・ゴンザレス・トレス (Felix Gonzalez Torres)、エルネスト・ネト (Ernesto Neto)、塩田千春などなど。

一貫性のある展示コンセプトや収集作品たちは、公共の美術館にも全くひけをとらないクオリティー。若いスタッフによるガイダンスも、参加者たちから印象を聞き出すことから始め、専門的な情報提供は後回しにするなど、方針がしっかりしています。

ただそこが弱点でもあり。プライベート・コレクションは公共事業である美術館とは違うはず。ホフマン・コレクションではコレクター個人の趣味嗜好が全く見られず、公共美術館の二次的なものというステータスに陥ってしまってるといえるのでは。とってもいじわるな見方をするならば、資産階級のご婦人の啓蒙活動に付き合わされている、といった感。そのためガイダンス終了後にはさりげないうんざり感が。

主要な所蔵作家:
Bill Beckley, Marcel Broodthaers, Günther Förg, Isa Genzken, Nan Goldin, Felix Gonzalez-Torres, Georg Herold, François Morellet, Ernesto Neto, Hermann Nitsch, Arnulf Rainer, Gerhard Richter, Andy Warhol, Franz West(公式サイトより抜粋)

見学:
毎週土曜11時から4時の間に行われるガイダンス(所要1時間半)は予約制。予約は電話またはメールで。
写真撮影禁止。
入場料8ユーロ(2010年5月現在)

アクセス:
最寄り駅は地下鉄 U8 Weinmeisterstraße またはSバーン Hackescher Markt。ソフィエン通り (Sophienstrasse) 21番地から中庭の一番奥へ入り、カフェBarcomi'sの向かい、つまり進行方向右側が入り口。


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公式サイト(英語・ドイツ語)

2010年5月8日土曜日

有名人を見た in プレンツラウアーベルク No.2

近所の道端をダニエル・ブリュールが歩いていました。

有名な人を見かけた場合、こちらの視線がさらーっとプロフェッショナルに無視されるのが通常なのですが、この方、私の視線に気づいて視線を返されました。

とても大きい声で電話してて、その話し方で「なんか知ってる」と気づいたほど。

ベルリンはのんびりしてるなー、と。

2010年5月3日月曜日

ギャラリー・ウィークエンド 2010

に出掛けてきました。

最終日の5月1日ということもあり、観客はの姿はすでにまばら。

参加ギャラリーが集まっている地域がいくつかある中、ミッテのAuguststrasseかチェックポイントチャーリー近くのStadtmitte周辺に行くか迷い、結局バーバラ・ヴァイス画廊が参加してることもありStadtmitteに行きました。

まずは トーマス・シュルテ画廊 (Galerie Thomas Schulte) へ。


ユアン・ウスレ? (Juan Uslé) というスペイン人作家の絵画作品が良かったです。


そしてバーバラ・ヴァイス画廊 (Galerie Barbara Weiss)へ。


書類ケース型のオブジェと問題を抱えた様子で悩む女性達の絵を組み合わせた、意味ありげなコンセプチャル・ペインティング。ジョン・ミラー (John Miller) というアメリカの作家。


次はブーフマン画廊 (Buchmann Galerie) の宮島達夫展。


1から9までの数字が、点滅しながら消えたり、そしてまた点灯して数を数え始めたりします。私にはどうしても、オブジェの全体の体が、地形図またはドイツやオーストリアなど国の地図のように見えてしまいました。すると、この点滅する数字が、現在その土地での死亡や出産の数を表しているのでは、という考えに取り憑かれて、違う視点で見ることが全く出来なくなってしまいました。

天気も悪いことだし、ここで帰宅。

2010年5月2日日曜日

メルケル vs. シュレーダー

アートによる政治的表明

シュレーダー元首相の仕事部屋に掛けられたゲオルグ・バゼリッツの『墜落する鷹』。

Gerhard Schröder - stürzender Adler (Georg Baselitz)

プロイセン、ワイマール共和国、はてはナチスドイツでも国章として使用され、現在でもドイツ連邦共和国の国章に使われている黒い鷹が、ここではバゼリッツの十八番の手法「逆さま」で描かれています。

墜落する鷹。保守・伝統に対するアイロニー?

また、シュレーダー元首相の前職であるコール元首相が、ある意味オーソドックスな近代芸術に傾倒していたのに比べ、バゼリッツという選択はかなり現代的であるといえます。

シュレーダーはバゼリッツ以外にもヨルク・インメンドルフ (Jörg Immendorf) やマルクス・リューペルツ (Markus Lüperz) らの芸術家たちと個人的に親交があり、インメンドルフはシュレーダーの肖像画(老いた芸術家に特有な出来?)を描いたりもしています。

メルケル現首相の場合、オスカー・ココシュカの手になるコンラート・アデナウアーの肖像。

Angela Merkel - Konrad Adenauer (Oskar Kokoschka)

1966年にココシュカが連邦議会からの依頼で描いたものです。

ココシュカのようにナチスから退廃芸術家と烙印を押された芸術家たちは、過去との意識的な決別を目指す戦後の政治家たちに好んで引用されています。ヘルムート・シュミット元首相が1975年にボンの首相官邸を表現主義の作品で埋めつくしたことしかり。また、ここに描かれているアデナウアーはキリスト教民主同盟 (CDU) の初代党首であり、メルケル氏の政治活動上での鑑といえるでしょう。

メルケルと、ココシュカによるアデナウアー。これは保守への回帰? それともメルケル首相の穏やかで謙虚な政治姿勢と理解すべきでしょうか?

もちろん、シュレーダーさんにもメルケルさんにもプライベートな趣味嗜好というものはあるでしょう。しかし、首相官邸の仕事部屋という、メディアを通じて大衆の目に晒される場においては、個人の好みを超えた表明があるということを、このふたつの写真は教えてくれます。

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本テーマは、現在ドイツ歴史博物館で開催中の展覧会「権力の誇示/統治戦略としての芸術」(Macht Zeigen. Kunst als Herrschaftsstrategie) にても扱われています。展覧会は2010年6月13日まで。公式サイト
参考

意味が外部から付加されるとき

チリダとムーア

今日ベルリンにある、ドイツ連邦首相官邸の前に立つエドゥアルド・チリダの『ベルリン』(2000年)。ふたつの形体がお互いに絡み合うかのように屹立しています。



すでにお分かりのようにベルリンの東西分断を視覚化したものですが、こういった「ふたつ」のものを繋ぎ合わせたり対峙させたりする形体表現 (Formensprache) のタイプは、壁崩壊後のベルリンでのパプリック・アートの定石となっています。

こちらがポツダム広場にあるキース・ヘリング



同じくポツダム広場のロバート・ラウシェンバーグ



これはシュプレー川にたつジョナサン・ボロフスキーの『Molecule Man』



次にこちらが東西分裂時代の首都ボンの首相官邸(旧)前にあるヘンリー・ムーアの『large two forms』。そうです、ここでも「ふたつのかたち」が扱われています。



もう一度ベルリンのチリダを。



ドイツ民主主義共和国(東独)が崩壊し、ドイツ連邦共和国(西独)が旧東独地域まで拡大、連邦政府はボンからベルリンへ移動しました。ムーアとチリダの作品のフォルムの相似はこの政治権力移動の象徴といえます。

それにしても、このように「東西ドイツの象徴」として意味付けをしてしまうと、とたんに作品が図式化されてしまってつまらなく見えてしまいます。チリダやムーアのようなアブストラクトな作品は、そういった具体的な意味の付加に特に弱いといえます。

芸術作品の解釈はもっと開かれたもののはずでは、という問いが残ります。

同じことが、ノイエ・ヴァッへに設置されているケーテ・コルヴィッツのピエタ像にもいえるでしょう。


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本テーマは、現在ドイツ歴史博物館で開催中の展覧会「権力の誇示/統治戦略としての芸術」(Macht Zeigen. Kunst als Herrschaftsstrategie) にても扱われています。展覧会は2010年6月13日まで。公式サイト

政治への利用?

コルヴィッツのピエタ像をめぐって

ドイツ古典主義建築の巨匠シンケルによって「衛兵所」として設計された建物(過去の記事)。

歴史の波に翻弄された紆余曲折を経て、東西ドイツ統一後の1993年以来ドイツ連邦政府の中央追悼施設として「国民哀悼の日」の式典会場となっています。

当時の首相ヘルムート・コールの考えにより、ここにはケーテ・コルヴィッツの『ピエタ』が設置されていますが、このことは当時大変大きな論争を巻き起こしました。


1914年に第一次大戦で失った息子の死を昇華させるため、1938年にこの「母と子」と名付けられた作品が制作されました。実はコルヴィッツのオリジナルは、大きさがたったの38センチ(オリジナルはベルリンのケーテ・コルヴィッツ美術館収蔵)。ノイエ・ヴァッへに設置されている複製では、高さが150センチまで拡大されています。足下には「戦争と暴力統治による犠牲者のために (Für die Opfer von Krieg und Gewaltherrschaft)」と碑文があります。

論争の焦点は何だったのでしょうか。

ひとつめは碑文の文面「戦争と暴力統治による犠牲者」が、犠牲者と加害者を同等に扱っているとも理解できるという点でした。例えば、ナチス高官も上からの命令に従っただけの犠牲者と考えることも可能だということです。

そしてふたつめはコルヴィッツの作品に見られる「ピエタ」という図像パターンにあります。このイコノグラフィーがキリスト教特有のものだということで、他の宗教を排除するという意味で排他的と考えられます。しかもユダヤ人に殺害されたキリストの死を悲しむ像で第二次世界大戦で大量殺害されたユダヤ人の死を追悼するとはいかがなものか、という批判です。

特に影響を及ぼしたのが、以下のツァイト紙(1998年13号)の記事でした。

»Denn die Pieta schließt sowohl die Juden aus wie die Frauen, die beiden größten Gruppen der unschuldig Umgebrachten und Umgekommenen des Zweiten Weltkrieges. Dies ist antijüdisch: Hinter der Trauer um den Leichnam Christi lauern jene seit dem späten Mittelalter bösartig visualisierten Juden, die den Gottessohn ermordet hätten. Und hinter der sichtbar überlebenden Mutter rufen Millionen vernichteter, ermordeter oder vergaster und verschwundener Frauen: Und wer gedenkt unser? Ein doppelter Mißgriff mit Folgen, die sich aus einer deshalb auch ästhetisch zweitrangigen Lösung zwingend ergeben. Der Denkfehler gebiert ästhetische Mißgestalten.« (Reinhart Kosselick; Die Zeit; 1998, Nr. 13)

「なぜなら『ピエタ』はユダヤ人と女性達の両方を排除するからだ。両者とも第二次世界大戦で無実のまま殺害された者たちの代表である。そしてこの両者を排除することこそが、反ユダヤ的なのである。キリストの遺骸を囲む悲嘆の背後には、神の子を死に至らしめ、そのため中世以来悪として視覚化され続けてきたユダヤ人たちが見え隠れしている。またここに生き残り実像化されている母の背後には、虐殺され露と消えていった何万人もの女性たちが叫び声をあげている。いったい誰が、我々を思い出してくれるというのか? ここで犯されている二重の過ちは、芸術的に凡庸な思考の帰結であるといえる後遺症を伴う。すなわち思考上の過ちが、芸術的に不適切な形体を生んだのである」



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現在ドイツ歴史博物館で開催中の展覧会「権力の誇示/統治戦略としての芸術」(Macht Zeigen. Kunst als Herrschaftsstrategie) にても本テーマが扱われています。展覧会は2010年6月13日まで。公式サイト

Neue Wache についての参考 URL

2010年4月14日水曜日

猿の近代制度批判

ウォルトン・フォード『BESTIARIUM』

ハンブルガーバーンホフ (Hamburger Bahnhof) で開催されているウォルトン・フォード (Walton Ford) を見てきました。

展覧会タイトルにある『BESTIARIUM』とは12世紀から13世紀の中世ヨーロッパで流布していた動物寓意譚のことだそう。様々な動物の特徴や習性とキリスト教的教訓とを結びつけ、そこに寓意や風刺を込めたもので、当時布教に大きな役割を果たしたとのこと。


Walton Ford, The Sensorium, 2003, Aquarell, Gouache, Bleistift und Tinte auf Papier, 152.4 x 302.3 cm, © Walton Ford

水彩で細部まで緻密に描かれた動物達は、18世紀から19世紀の西欧で盛んであった「博物画」というジャンルの挿絵を直ちに連想させます。紙に水彩で描かれていますが、紙の縁が黄ばんだように彩色されていて、意図的に古く見せようとしています。この、わざと古く見せる、というやり方は、確立されたジャンルである「博物画」から客観的な距離を取り、批判的にアプローチしようとしているように見えます。

歴史上の事実を動物に託した寓意、政治的抑圧に対する風刺。

作品をさらによく見てみると、至る所にロマン主義という美術史上のエポックへのアプローチが見られることに気づきます。

まずは背景。雪原や日没の光景の色使いは、まさにドイツロマン派の巨匠カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ。『The Island』(下図) では、その構図がフランスロマン主義の画家ジェリコーの『メデューズ号の筏』を彷彿とさせます。


Walton Ford; The Island; 2009; watercolor, gouache, pencil and ink on paper, © Walton Ford


Théodore Géricault; Le radeau de la Méduse; 1819

また、血を流すバッファローの周りを白狼の群れが取り囲む作品では、背景はフランス絶対王政時代のような幾何学式庭園となっています。

それでは「博物画」とは何だったのでしょうか。

大航海時代以降、進出先の各地で新種の動物・植物・鉱物の発見が相次ぎ、それを収集・分類する目的で博物学という学問が発達し、それに伴って博物画と呼ばれる挿絵が描かれる様になりました。

博物画というジャンルは、そのコンセプトの深いところで帝国主義や植民地政策と結びついているとも言える。そう考えると、フォードの作品の政治色の強い含意と、博物画という体裁とが結びついてくる。

また博物学自体は、研究のために集められた収集物を展示する目的で設立された自然史博物館や動物園、さらにそこから美術館という制度へと発展している。

そんな点からも、フォードの『美術』という制度への批判的なまなざしが読み取れるのではないでしょうか。

下図は今回の展示で美しいな、と感じた1点。


Walton Ford; Falling Bough; 2002; watercolor, gouache, pencil and ink on paper, © Walton Ford

ウォルトン・フォードは1960年ニューヨーク州ラーチモント生まれ。現在はマサチューセッツ州バークシャーの山の中で暮らし、画家としては90年代から活躍し始めています。すでに早い時期に、ニューヨーク自然史博物館の展示、特にアメリカ人鳥類学者で動物画家でもあるジョン・ジェームズ・オーデュボン (1785-1851) の博物画に魅了され、その関心から彼の芸術が展開されています。

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2010年5月24日まで開催。
@ ベルリン、ハンブルガーバーンホフ現代美術館
火曜〜金曜 10時〜6時
土曜 11時〜8時
日曜 11時〜6時
学割4ユーロ、普通8ユーロ(特別展のため毎週木曜の無料入場からは除外。残念。)
公式サイト

2010年3月31日水曜日