2009年9月23日水曜日

21世紀のアートとは?

ハンブルガーバーンホフ常設展再開!

ここ数年ぱっとしなかったハンブルガーバーンホフ現代美術館。この度ウド・キッテルマンが新館長となりリニューアルオープンされました。タイトルはずばり 『Kunst ist super! 』 アートはカッコいい! って...

同美術館の現代美術コレクションが、ベルリンの他の美術館・博物館から貸し出された収蔵品と対峙させられています。ここでは、それらのコンステレーションから、ほんの一部をピックアップ。

まずその空虚さに驚くのが入り口を入ってすぐの中央ホール。

かつてアンゼルム・キーファーやリチャード・ロング等、この美術館の顔的存在の作品が置かれていた大ホールはすっきりと片付けられ、中央にマルセル・デュシャンの超有名作品 『自転車の車輪』 がぽつんと置かれているだけ。

この作品が入り口ホールに置かれることにより 「訪問者に現代美術の歴史的幕開けを示唆する」 とは無料で配布されるパンフレットから。

ホール左奥に置かれた古い型の貨物列車の車両 が、この美術館の建物がかつて駅であったことを示唆しているようです。また、写真には写ってませんが、ホール右手前には、列車の作品と形も大きさも似通った箱形の作品が置かれていて、中に人が入れるようになっています。中を覗いて初めて、それがテートモダンのタービンホールが縮小された模型であることが分かります。

貨物列車のインスタレーションは、ポーランド出身の作家ロバート・クスミロフスキー (Robert Kusmirowski) の作品でタイトルは「Waggon」。テートモダンの模型は、ローマン・オンダック (Roman Ondák) の作品で、タイトルは「It Will All Turn Out Right in the End」。

この3点の配置は何を意図するのでしょうか。貨物列車は実物大の、テートモダンは縮小された、しかし両者とも模型であることが共通しています。まず、同寸の列車と大幅に縮小されたテートモダンとの縮尺の差が、鑑賞者のサイズへの感覚を不安定にします。

列車の模型は、かつてここがハンブルク行きの列車が発着する駅であったことを示唆し、テートモダンの模型には、この場所も美術館であるという共通項が見て取れます。テートモダンもハンブルガーバーンホフも、もともとはインダストリアルな建築であり、近代(モダン)の重要な要素である社会の産業化を思わせます。また列車模型は、作家がポーランド人ということもありやはりアウシュビッツへのユダヤ人搬送を連想してしまいます。そこから、列車の模型は20世紀で最も暗い過去を象徴しており、またテートモダンの模型はタイトルからもポジティブな未来を象徴しているように思われます。

そこに、20世紀の美術の方向を決定づけたデュシャンの『自転車の車輪』。

デュシャンの車輪と貨物列車の車輪とが関係してるように見えるのも、偶然ではなく、明らかにキュレーターの意図していることでしょう。

過去の時間内を走り抜ける搬送貨車や、20世紀を通して回り続けたデュシャンの車輪から、過去と未来をつなぐ時間軸が読み取ることが可能です。またその観念上の時間軸は、列車の発着ホールという建築物が内包する、線路によって引き延ばされる方向性とも関連しています。

ここでは、具体的な形を全く見せないまま、21世紀へとつづく未来のアートを示唆しています。

ウォーホルのポートレート作品が並ぶ部屋には、ドイツ新古典主義時代の胸像が。これもクラシックなポートレート。

そして究極。ウォーホルの 『マリリン』 の隣には、ベルリンの至宝 『ネフェルティティ』 の石膏レプリカ。古代と現代を代表する美女?

サイ・トゥオンブリー。アメリカ人でありながらローマのバロック邸宅で作品を作り続ける作家の作品の前にはミケランジェロ 『瀕死の奴隷』 が。

その他にも2階の展示室には自然博物館から拝借したであろう昆虫の100倍拡大模型。それと並んで何が展示されているかは訪問してのお楽しみに・・・

本展示は2010年2月14日まで

フォン・トリアー『アンチクライスト』

ラース・フォン・トリアーの新作 『アンチクライスト』 を観て来ました。



ネタばれを含む感想 (読むには反転して下さい):

主人公夫婦がセックスに没頭している間、幼い息子は窓際のテーブルによじ登り、窓から転落して死亡する。それをきっかけに精神のバランスを崩した妻を自ら治療すべく、セラピストの夫は妻と共に森の中の別荘へと出かけていく。

深層心理と森のメタファーや 「3人の訪問者が揃ったら人が死ぬ」 といったシンボル性はなんとなくデヴィット・リンチ、妻が論文を書きながら精神のバランスを崩していく筋立ては 『シャイニング』 という感じがしました。

映画の後半で妻が見るフラッシュバックによって、実は彼女は息子が窓へとよじ登ってる姿を目撃していることが明かされます。そのシークエンスから、妻が息子を止めなかったという罪の意識からかえって性に憑りつかれ、また性を否定 (性器を傷つける) しようともする別レベルでのプロットが読み取り可能になります。

ただ、このエピソードは単純な種明かしに陥ってしまい、作品に謎めいた奥行きを与えるのではなく平坦にしてしまっているという感を受けました。

首を絞められるシャルロット・ゲンズブールがリアル。