2007年8月26日日曜日

ナチスが大聖堂でしたこと。

引き続きブラウンシュヴァイク大聖堂。
ハインリヒ3世(獅子公と呼ばれる)により1173年に建設されたこの聖堂は第三帝国時代、ナチスの国策を支持するプロパガンダに利用されていました。

1147年に行われたスラブ民族を駆逐するための十字軍遠征を根拠に、ハインリッヒ3世はナチスによってナチス政治思想の先駆と見なされました(人種/民族主義者という点と、ヨーロッパ東部開拓者という点において)。

ナ チスが政権を握っていた1935年から1940年にかけて、ハインリッヒ3世が建立した中世当時の状態に戻すために、何世紀にも渡って集められた宗教的な 所蔵品(十字架や19世紀の絵画など)は悉く撤去され、大聖堂は最初の民族主義者・東方開拓者としてのハインリッヒ3世、並びにナチスを祭るといった特定の信仰の場へと作り替えられました。

聖堂の中央回廊にはハインリッヒ獅子王の 「東方征服」 を主題とする壁画が施され、ハインリッヒ3世がヒットラーの精神的な祖先と見做され、祭られていることは誰の目にも明白でした。

下は第三帝国時代の5マルク紙幣。表面にはハインリッヒ3世 、裏面にはブラウンシュヴァイク大聖堂が印刷されています。

戦後、聖堂はナチス以前の形に戻され再びプロテスタント教会として機能し始め、ナチスの痕跡は払拭、歴史は「リセット」されました。現在、中央廊の壁面が真っ白なのはそのためです。

もともとハインリッヒ獅子王が中世に建立したときも、自身の権力を市民に見せ付ける意味が強かったそうですが・・・

この大聖堂の例は、教会のような宗教的な場といえども政治との関わりからは決して逃れられないことを示してます。

それとも、宗教もある時代の政治的権力の一形態なのでしょうか。

参考: Wikipedia/ Braunschweiger Dom

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