私、今回のドクメンタのファンです。
、とはいってもなかなか理解しがたく入り込みにくいです。
それはなぜなのか。
政治性
もともと、その第一回目 (1955年) からドクメンタは戦後ドイツの文化的復興を目的としていました。ナチスドイツの蛮行を撤回するためにもドイツの文化的熟成、政治的良心を世界に提示しなければなりません。時代とともに何が政治的正義であるかという基準は変わったとはいえ、その底辺にある目的意識はやはり簡単には変わらないようです。
そのためかドクメンタは政治的にとにかく半端でない気をつけ方をします。それがコンセプトをかなり複雑にして、また見えにくくしているといえます。
(でも単純な政治メッセージほど危険なものは無いのかもしれません。)
まずカタログからして、今回は厚さが半端じゃありません。前回に対して分厚いのは作家数がそれだけ増えたから。有名無名に限らないとしても、作家性メインに構成していく展覧会ではまずないという企画者側の意図が感じられます。
カタログをぱらぱらとめくってみるとすぐにイスラムの絨毯や写本、アジアの工芸品などが目に止まります。作品の選定からしてヨーロッパ中心主義をを排除しようとします。また芸術の源泉を東方に見出そうとしているのでしょうか?また中国人や日本人の名前は苗字--> 名前の順になっていて好感を持ちました。
美的体験?
展覧会場をまわってみて全体的に気づいたことは、展示作品になんらかのごく表面的な類似点が見出せること。そしてそれらの類似はあまりにも表面的で、美術史的にもテーマ的にも全く無関係で、とても微妙。なのでこれは私だけのごく個人的な見解かと何度も疑ってかかりました。
これが感性に基づいた美的体験なのでしょうか?ある作品を見てふと、他の会場で見たある作品を思い出し、ふとこの二つにつながりがあるのかと考える。考えてみるとその比較は全く意味を成さないことに気づく。作品同士のかかわり方がとても不思議に軽やか。
そんなわけで今回のドクメンタはとても地味。でもひとつひとつの作品をよーく見てみるといろいろな考えが心に浮かんではまた打ち消されていく。
「この共同の美術体験を通じて、自分と世界の交錯や対立に絶えず喜びを感じる市民社会が育成される。それはまた事物の関係性に対して目を開き、まやかしの明確さに別れを告げ、少なくとも展覧会訪問中は感性的体験 (或いは美的体験 ästhetische Erfahrung) の不確かな基盤上を動き回ることを可能とする社会である。」 (公式パンフレットからの抜粋、翻訳)
ごく個人的・主観的な 「共同体験」。
それを可能にするインターナショナルな美術展覧会が今回のモットーらしいです。
公式HP: http://www.documenta12.de/
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