街はベルリン映画祭で盛り上がってるみたいです。このイベント、なんか嫌。参加しようと意気込んでも一般人にはチケットが手に入るのか直前まで分からないし (聞いた話ではジャーナリスト優先で彼らが会場に入った後で残りの席を一般に売るからだそう)、短い期間にみっちりとしたスケジュールで、「見逃した」 感をずいぶんと募らせてくれるからです。それを逆手にとって 「さて、わたしは今現在何を見逃してるのかしら・・・」 とプログラムをめくってみたり。そんなひねくれた楽しみ方しか許してくれないこのベルリナーレと暮れのクリスマス市が、私にとって憎くてしょうがない2大年中行事です。
その映画祭にシンクロさせた企画だと思うのですが、ピーター・グリーナウェイが大学で講演をするというので予習のつもりでDVD を借りてみました。とはいえなんかめんどくさくなってしまって実際の講演会には行きませんでした。ベルリナーレが憎いといいつつ、実は怠惰な自分が憎いのかもしれませんね。
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「建築家の腹」 ピーター・グリーナウェイ
ローマの全体主義的なばかでかい建築物を背景に繰り広げられる人間くさいドラマ (あらすじ)。現代に生きるアメリカ人建築家が主人公。 (歴史の深遠さや異文化に打ちのめされる現代人の姿を描こうとするときに、アメリカ人を主役に据えるのはよく踏襲されるパターンのような気がする。シェルタリング・スカイとか)
- その設計が、現実には何一つ実現されることなく消えていった18世紀の建築家ブーレ。彼の展覧会を企画する現代建築家。そのアイデア故に偉大である過去の建築家と、またそのアイデアのみで構成された展覧会を企画する現代の建築家。この純粋な観念性と、背景に映し出されるローマの堅牢な巨大建築物。 (観念性と物質性)
- 石で出来たローマ歴代の皇帝は時間に耐え、その腹は病理に蝕まれることない。生身の建築家の腹は時間と共に癌に蝕まれていく。観念世界の恒常性と人間の肉体のはかなさの対立。 (精神と肉体)
- その人間である建築家は妻の腹に子を宿し、自分の腹に癌を巣食わせる。子供の誕生と同時に窓から身を投げる男。(男と女、死と誕生)
これら二項対立の思考は徹底した左右対称、一点消失の構図として視覚化される。
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