2007年2月6日火曜日

和辻哲郎『古寺巡礼』

享楽的な日本の風呂

現象学の哲学者フッサールについてのゼミナーで、ドイツ人教授が、現象学的な観察方法として何度も和辻哲郎の名を挙げた。でもワツジじゃなくてワチュイと発音するので最初誰のことだかわからなかった。本を探し出してとりあえず読んでみることにした。古寺巡礼。奈良京都の仏像の鑑賞記。ものすごく主観的なところから出発して結局主観論から脱出することなく、それが徹底して貫かれていてちょっとすごい。壁画に描かれた女性の色気にまず自分が参りそれもまた僧を悩ませたであろうと考えてみたり、仏像の目の離れ具合からモンゴル系だろうとか出身地を憶測したりと全く思い込みの域を出てない部分多々あり。しかも手に負えないほどの感動屋さん。ちょっとでも学術的に仕事したことある人ならこの実証を全く伴わない論理の帰結に、え、これでいいの?と、とまどってしまうのでは? ・・・ そう思いつつ他方で、いくら資料を集めて分析して実地に基づいて検証したとしても人は何を知りえるのだろう、とも考えてみる。客観的であるはずの知識でさえも結局は主観から独立しえないのでは? 本を読み込んでいくとその徹底的に主観的な観察は、時にすごく深いところに突き進んでいくことに気付く。例えばアジャンタの壁画の女性のふくよかさと僧の禁欲生活との矛盾から導かれていく考察。そういった矛盾は概念を通して物事の一面のみ観察することから生じるのであって、そうではなく 「生きた全体」 として物事を捉えなければならないということを筆者は指摘する。旅路の温泉宿。湯船につかりながら極楽気分で西洋と日本の風呂の違いについて考える。湯気立ち昇るただ中での全体的考察、これが現象学か。

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