2007年2月23日金曜日

ニュートン- ラシャペル- ナクトウェイ (+ ドゥパルドン)

写真 = 現実?

ベルリンZOO駅の裏側のヘルムート・ニュートン写真美術館に行ってきました。
一階の展示場には、ニュートンの所持品、服、部屋の再現、撮影風景の記録ビデオ、展覧会のポスターなどが展示されている。遊び心あふれる人となりを思わせる遺品たち。壁に張り巡らされた展覧会ポスター群には、広告という目的から来るのかかなりいいところをついた作品が選択されていて、それはまた私たちが思い描くニュートン写真のイメージを強固にしていく。それらの写真の醸し出す気高いエロスにびっくり。モデルの表情やポーズ、小道具との組み合わせから生み出されるエロス。それを彼の人となりを示す展示と合わせて見ると、そのエロスは彼のユーモアの感覚を異化させたものなのか、とも思わせる。

ニュートン- ラシャペル- ナクトウェイ

赤絨毯の階段を上った二階の展示場には、ニュートンの映画俳優、ポップスター、政治家などの男性ポートレートと並んで、商業写真家デビッド・ラシャペル(David LaChapelle)、戦場写真家ジェームズ・ナクトウェイ (James Nachtwey) という全く異なるフォトグラファー二人の作品が展示されている。この繋がりがありそうで無さそうな不思議な3人展のタイトルが 「MEN, WAR & PEACE」 男と戦争と平和。

実は私がこの展覧会を訪れた理由は、ラシャペルのハリケーン通過後の破壊された家の前で子供を抱いて立つモデルの写真。でも展示には正直いってがっかり。そのハリケーン写真以外の数点を除いてほぼ全部ダメ。まずプリントがインクジェットのクウォリティーそのもので、またその質の悪さを逆手にとってものにするところまでも行ってないような。展覧会することになったので慌てて拡大、プリントアウトして額に入れて美術館に飾りました! といった即席な救いのなさが漂う。ファッション雑誌というメディアが彼には一番合ってるのではないでしょうか。悪口では全くなくて。



もうひとりの写真家ナクトウェイは 「戦場フォトグラファー」 なんだそう。すごい肩書き。劇的な一瞬を、完璧な構図とコントラストで捉えてる。ものすごくプロフェッショナル。でもなんか不思議。悲嘆にくれる女たちや、死の影に不安を覚える戦場の少年 (実際の人影でシンボリックに表現されてる) など、どこまでが写真家が主観的に 「切り取った」 フィクションでどこからがありのままの現実なのか、考えれば考えるほどわからなくなる。作家の意図とはまた別に、観る者の投影も入り込んでくるし。ここで頭を抱え込んでいる少年は絶望しているように我々の眼に映る。でも実際に絶望しているのかはわからない。背中がかゆくて掻いてるだけかもしれないし、またこの写真が撮られた場所が実際に戦場であるかの証拠も何も無い。

そう考えてみて初めて、このナクトウェイの実は意図的なプレゼンテーション、ラシャペルのうそであることを包み隠すことのない過剰演出、そしてニュートンがやって見せる被写体との共同作業としての演出とが交差してくる。

(+ プラス) ドゥパルドン

さらに階段を上った最上階、屋根裏だからなのかしらやけに薄ら寒い部屋では、もう一つ別の企画が催されている。フランスの写真家レイモン・ドゥパルドン (RAYMOND DEPARDON) による映像インスタレーションと写真の展覧会 VILLES/ CITIES/ STÄDTE 都市 都市 都市。 (ここで展示作品のスライドショーが見れます。ページ右下の Diashow starten をクリックしてみてください) 階下の3人展の演出過剰気味な写真群とは鮮やかな対比をなすように、ドゥパルドンは自身の主観や感情を決して介入させないよう可能な限り被写体との距離を保とうとしている。特に映像作品。観客をぐるりと取り囲む計12のスクリーンにはカイロ、上海、ニューヨークなど世界各地の街の日常的風景が同時に流される。道を横断、通行する人々。時にカメラはその中の一人を捉え一瞬追いかけるが、人物はすぐに雑踏の中に消えていく。作家は各都市に3日滞在制作、写真機と16ミリカメラ、5分間長のフィルムカートリッジ10本を抱え、演出・再撮影は一切せずに制作する。そういった主観に左右されてしまう要素を排除しようとする制作スタイルは、世界をどれだけありのままに見ることが出来るのかの挑戦のように見える。

写真は 「真を写す」 と日本語で表記されるように 「物理的に」 現実を写し取るけど、それは本当に私たちにとっての現実と呼べるのか?ある事実が個人の目を通して切り取られ、ある瞬間故意にシャッターが切られる時、そこに作家の意図やまた観る者自身の投影が入り込むことが避けられない。ナクトウェイの完璧にドラマチックな写真がドキュメンタリーと呼ばれる時、ドキュメンタリーってなんなんだろう、と考えてしまう。もし写真も映像も、絵画と同程度の虚構性を含むとしたら、絵画もある時にはドキュメンタリーと呼ばれていいはずなのに・・・? 写真における 「現実」 って、写真があくまでも 「物理的に」 物事を写し取るという私たちの機械信仰のあらわれに過ぎないのでは。

NEWTON-NACHTWEY-LACAPELLE, "MEN, WAR&PEACE" は 2007年5月20日まで

RAYMOND DEPARDON, "VILLES CITIES STÄDTE" は 2007年4月1日まで 写真美術館ヘルムート・ニュートン財団、ベルリンにて

この写真美術館のある動物園駅の裏側は、福祉施設もありホームレスの溜まり場。ここを通るたびに西ベルリン映画 「クリスチーネ F/ われら動物園駅の子どもたち」 を思い出してしまいます。麻薬中毒の子供たちは居ないけど。ひょっとして今居る彼らが当時の子供なのかしら。

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