今日は話題のオラファー・エリアソン展へ。
ポツダム広場の駅を出て、展覧会場である建物マルティン・グロピウス・バウを目指し近道をと選んだ道は行き止まり。その代わりそこで、監視塔の残骸を発見。ドアがへし曲げられています。Erna-Berger-Straße、旧東ベルリン側。
けっこう、表現主義。
そうなんです。このマルティン・グロピウス・バウは、ベルリンの壁沿いに立っていたのです。建物玄関はベルリンの壁に面していたため、冷戦時代は入り口は建物裏側にありました。
そしてもうひとむかし、ヒトラーの第三帝国時代にはなんとすぐとなりに、極悪ナチスの秘密警察ゲシュタポが本拠を構えていました。
下の写真、手前の建物がゲシュタポ本部(写真は1933年)。奥に現在のマルティン・グロピウス・バウ(当時は装飾工芸美術館)の玄関が見えます。
このゲシュタポ本部自体は空襲で破壊され、戦後はベルリンの壁に接していたために危険すぎて使えない空き地として長年放っておかれていたそうです。この場所は1987年から「テロの地形図」 (Topographie des Terrors) という展示施設になっています。瓦礫の中にわずかに残っていた地下室の壁を利用して、ナチス時代についてのパネル展示があります。今日行った時には、なんと空き地だったところの真ん中に、見たことのない新しい建物が出現していました。が、時間がないのでそのままエリアソン展へ。
これがマルティン・グロピウス・バウと呼ばれる美術館。建物の設計者マルティン・グロピウスは、バウハウス創立者であるヴァルター・グロピウスの大叔父にあたる人だそうです。完成は1881年。イタリア・ルネサンス様式。この時代には建築物がその用途に合わせて過去の時代のあらゆる様式を引用して建てられましたが、これもその一例のネオ・ルネサンス。当時美術館を建てることになって「美術といえば当然イタリア・ルネサンス」くらいの単純発想だったのではと推測します。
建物の窓から煙突が顔を出し、そこからもくもくと立ち上る蒸気。
あ、これがきっと、かのカラフルな霧の部屋!と期待増大。そして中へ入ると・・・
すごい人。
また今度平日に出直してこようかとまで考えたほど。しかしその後、この長蛇の列は2階のフリーダ・カーロ目当てだということが判明。カーロの射程範囲の広さにびっくり。エリアソンは・・・すぐに入れました。
展覧会タイトルは『内/都市/外』(Innen Stadt Außen)。なによりも、建物の内部構造と緻密に関係づけられた会場構成が、考え抜かれていて秀逸しでした。ということでこの今回のレビューでは、展覧会構成に焦点をしぼってみたいと思います。
会場内は写真撮影厳禁でした。画像の使用権はかなり厳しく管理されているようです。ですので作品の画像についてはこちらを参照してください。Fotostrecke Olafur Eliasson/ Berlin.de
チケットもぎりのお兄さんが立つ入り口を入ると、そこからすぐに足下に石の板が道のように敷かれれいて、観客はその上を歩くことになります。『ベルリンの歩道 Berliner Bürgersteig』。この建物内部にある『歩道』を歩きながらそのまま部屋をふたつ通過し、三つ目の部屋(つきあたり)で道は左に折れ、窓へと行き当たります。建物外部へと開かれた窓。カール・アンドレを彷彿させます。
そして、その石の歩道が終わる同じ部屋には、銀色のアルミ板(この画像の一番奥に見えます)が掛けられていて、表面の凹凸がなだらかに光を反射している。しかしよく見ると、なんと窓がわざわざ封鎖されて、そこに絵画作品を掛けるようにアルミ版を取り付けていることが判明。そう見てみると、アルミ板は平面の絵画のようにも見えるし、室内光の反射は窓の外、アルミ版の向こう側にあふれる自然光を暗示しているようにも見えます。タイトルは『水銀の窓 Mercury window』。
ここからは、ざっと。暗室の壁にプロジェクターによって来場者自身の影が投影される作品『あなたの不確かな影 Your uncertain shadow』。ミュージックなしでも思わず踊ってしまう、観客巻き込み型の作品。そして次は、黄色い照明に照らされた大きなテーブルに模型のようなものが沢山並べられてる作品『モデルの部屋 Model room』。黄色い照明のせいで、来場者みなが色を失ってグレーに。ただ、同じくテーブルに並べられたモニターの映像だけが生き生きとした色彩を放っていて、不思議。次ぎはベルリンの風景のモンタージュ映像作品『内/都市/外 Innen Stadt Außen』。
暗室を出ると一転して外光あふれる一角へ。一見何もない部屋。ところが窓の外に目をやると、ここは2階のはずなのにそこには草むらが。『連続 Succession』1998年。正方形に切り取られた草むらが、光を反射して風に揺れてきらきらしている。暗室から外界への繋げ方が鮮やかです。
そしてマルティン・グロピウス・バウのガラス天蓋に覆われた中庭部分には『顕微鏡 Mikroskop』と名付けられたインスタレーション。ガラスの天蓋部分を残してアルミ板で囲まれた空間。天蓋部分が果てしなく反射し合います。アルミ版は相当薄いらしく、床を歩くたびに全体が振動して、知覚が不確かになります。
ミラーボールを通り抜けて次の部屋に入ると、また何もない。すると監視のおじさんが「鏡、鏡、」と言ってくる。何かと思って指差された方を見ると、そこには窓が。窓の向こうにはすぐ隣の建物があり、ちょうどその窓からも中が覗ける。向こうにも人がいてこっちを見てる。え!わたしじゃん! ということで、作品『奇妙な美術館 The curious museum』。美術館建物の外側に鏡が取り付けてあって、私達は鏡に映る美術館の外壁と窓、そして自分達が位置する内部を見ていたのでした。
しばらくマルティン・グロピウス・バウの外壁を中から鑑賞し、そして鑑賞する自分も鑑賞し、次へ。
この部屋は、黄色いセロファンによって空間を二分されています。エリアソンの美大卒業後初めての作品『Suney』1995年。このタイトル Suney は sun と eye を合わせた造語だそうです。太陽といえば、彼のテートモダンのインスタレーションを連想しますが、ここでは、隣に設置されている鏡作品の影響か、黄色い色のついた鏡のように見えてしまいます。フイルムの向こうに立ってフイルム表面を眺めている人たちが、ふっと鏡像に見えてしまう瞬間があるのです。自由な解釈の余地をまったく狭めないところが、エリアソンの作品の強みでしょう。
このあたり、水をまき散らすホースの作品とか、いろいろあるのですが、省略。
そして最後のクライマックス、霧とネオン光のインスタレーション『Your blind movement』。水蒸気に満たされた室内に入っていくと、動くたびに周囲が様々な色に変化していく。これはすごい楽しい。しかしここでも、美術史を何年も学んでしまった私が性懲りもなく思い浮かべるのは、マーク・ロスコーとカスパー・ダーヴィット・フリードリッヒ、はては「北方ロマン主義の伝統」。
マーク・ロスコ
カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ
Caspar David Friedrich/ “Wanderer über dem Nebelmeer, ca. 1818″
しかしロスコーやフリードリッヒとの比較はどうでもいいのです。なぜなら、そういった純粋芸術的な議論からは何も生まれそうにないから。
何よりもエリアソンには、美術館という閉じられた空間をとにかく外へ開いていこうという強い意志が感じられます。しかしあくまでも空間は閉じられており、外界とのつながりは観念的に提示されます。また、美術館の外壁と観客自身を中から見せることで、美術館という制度を一旦はだかにして、問題提起をしているようにも見えます。
今回の展覧会タイトル『内/都市/外』について、エリアソンはtipのインタビューでこうコメントしています:
「私は、内部/つまり展示室としての美術館と、外部/つまり文化・社会・政治に関わる制度としての、あるいは『リアリティを生み出すマシン (Wirklichkeitsmaschine)』としての美術館、このふたつの相互関係を探求しています。」また別のインタビューでは:
「私は、美術館の中とその外で起きていることの関係性を作りたいと考えます。ここ数年私が手掛けた展覧会では、そういった内部と外部の乖離が目立ってきていますが、それは美術館が展覧会を徹底して売り物にするために起こっています。ここベルリンではそういった乖離を感じることはあまりありませんが。私は、来場者が美術館に各々の期待や個人的な物語を持ち込み、そこで展覧会の一部として鑑賞することを望んでいます。そして人々はそこで見たことを記憶として再度社会へと持ち出すのです。そういった意味で展覧会を顕微鏡に例えてもいいかもしれません。社会をルーペで覗き込むのです。そこで展覧会はある種『リアリティを生み出すマシン (Wirklichkeitsmaschine)』なのです。」
ちなみにベルリンに居を構え制作をするエリアソン氏は Pfefferberg の敷地にある建物ひとつ丸ごと買ってアトリエに改造したそうです。地域活性みたいなことにも参加しているんですね。
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