この建物自体は、軍事国家プロイセンからナチス・ドイツの時代を経て主に軍事・政治目的に使用されてきました。ナチスの支配する40年代にはこの壁画と同じ場所に、兵士達とナチスの鷲の紋章のレリーフが架けられていました。
戦後、その建物は東独の政権政党であるドイツ社会主義統一党 (SED) の拠点となり、ナチスのレリーフは取り外され、マックス・リンガーによるタイル製の壁画が掛けられることになります。
タイトルは 「ドイツ民主主義共和国の建設」 1952年。兵士の像とはうって変わって、いろんな職業の平民がいかにも幸せそうに集っています。とてもカラフル。
近づいてよく見てみると、タイルにひとつひとつ絵付けして焼成してから、大きな絵に組み合わせたようです。ドレスデンのマイセン磁器のタイルで出来た王侯貴族の壁画なんかを想わせます。
人物は等身大よりもずいぶんと大きく描かれています。
特定の支配者ではなく、老若男女いろんな職業の無名の人々が主役となってひとつの理想社会を形成します。
頭をよぎるのは第二次世界大戦中、全く同じ場所に掛けられていたという兵士の群像レリーフ。戦後ナチスドイツの否定と共にそのレリーフは取り外され、そこには新生社会主義国家の主役達、労働者の群像が描かれることになる。この不特定の無名の人民達が、ナチスドイツがかつて掲げた主役達、無名の兵士達の群像と、どうしても重なり合ってしまう。
この建物が位置するのは、ナチスドイツの政治・プロパガンダの中心地。また建物自体も、時代の変遷や数多くの建て直しにも関わらす基本的な構造や外見には大きな変化はなく、政治的・軍事的機能はその建立以来保たれている。その建物を同じような政治的目的で、引き続き使ってゆくのは、その建物に元来から付随している権力の構造をもそのまま引き継ぐことにも繋がるのではないのでしょうか?
また、絵付けタイルの使用といった伝統的、手工芸的技法の応用も、権威主義的な臭いをふりまく、と感じるのは私だけでしょうか?
ナチスドイツが滅び、その地には新たな社会主義国家が生まれたけれど、結局のところは前面に掲げられた主役達を取り替えただけで基本にある権力構造は何も変わっていなかったのではないのでしょうか?この二つの壁面作品が私達に示すのと全く同じように。
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