Claude Lévêque, Hymne, 2006
ハンブルガーバーンホフ現代美術館を正面入り口から入ると、真正面に巨大な白い箱がどーんとそびえ立っている。ミニマルな外観からはこれから体験する作品がコンセプト・アートであることが期待される。箱の中への入り口は四隅にそれぞれひとつづつ、中はつるつるの黒いアクリルガラス板が貼り巡らされた空間。ブティックやデパートの化粧品売り場などの商業的空間を想わせる。天井からは無数の長三角形の鏡板が鋭い尖端を垂直に下に向けて吊られていて、それらは四方の壁際に配置された扇風機の風に煽られてゆらゆらと危なげにゆれる。鑑賞者はその下を歩くことになる。もしこれが落ちてきたら自分の頭に突き刺さるという不安感。
両目を孔けられた三角形の鏡板は個性を持たない仮面であり、それは私自身でもありまた知らない誰か他人でもあり得る。そして鏡には、それを覗き込む自分の姿が映ることは誰でも知っている。
二つの孔を持つ三角の形状は、その尖端が身体に記憶された鋭い痛みの感覚を与えるだけでなく、KKK団の白頭巾やアブ・グライブ刑務所で虐待を受けるイラク兵の写真をも連想させる。鑑賞者はこの一つの形体から二つの質的に異なる居心地の悪さを知覚する。ひとつは「痛い」という身体に訴える居心地の悪さ、もうひとつは「残酷な歴史」という連想を通して理性に訴える居心地の悪さといえる。
また連想といういものは鑑賞者個々の記憶や知識に応じて変化する。そしてその連想の契機となる形体は鏡という素材から成り、そこには鑑賞者の姿が映されることにより鑑賞者は自ずと作品に取り込まれ、作品の一部となる。
KKK団を連想させる鏡面に我々の姿が映し出されるという連想にたどり着いたとき、そして作家がフランス人であることを思ってはじめて、ホワイト・キューブの外面の白色と、内面の黒色はひょっとして人種差別、白人至上主義を暗示しているのではないかと深読みしてしまった。
この作品がその質を保持するのはしかし、そんな観者の連想を
全て疑問に付してしまうところ。こんなこと考えてしまったけど、本当にこれって作者の意図なんだろうか、こんな発想するのは私だけでは?と疑ってしまう。このように意味が重層していくのは淡々としたマテリアルの扱い方に原因があるのではないか? 均一に切り取られ吊るされた鏡版、無造作に置かれ延々とモーター音を出し続ける扇風機、建築素材による無機質な空間は、形体を作者の意図に拘束することなく、それぞれの鑑賞者による自由な連想を可能にする。日常の物質の組み合わせから連想が果てしなく続いていく・・・
展覧会 INFO:
Claude Lévêque im Hamburger Bahnhof, Berlin
Art France Berlin: Claude Lévêque, „Hymne 2006“, Hamburger Bahnhof – Museum für Gegenwart – Berlin. 29. September 2006 bis 4. Februar 2007
作家紹介リンク:
http://www.hamburgerbahnhof.de/cont/contd/
参考記事:
http://www.artnet.de/magazine/reviews/haun/haun11-13-06.asp
0 件のコメント:
コメントを投稿